宝永5年(1708)の力石

宝暦9年(1759)の稲荷大明神石j祠(左)・天神社石祠(右)

盡忠報国凱旋碑

祭神 仁徳天皇・履中天皇・反正天皇
 鹿室の南端近くの畑の中に鎮座する当社は 「風土記稿」 鹿室村の項に 「和泉三社明神社、祭神詳ならず、慈恩寺村慈恩寺塔中遍照院の持」 と載り、古くから村全体で祀られてきた神社である。社名の由来や勧請の経緯については伝えはないが 「明細帳」 や 「郡村誌」 では、御祭神の三柱とされており、これらの三柱の陵墓はいずれも和泉国大島郡(大阪府堺市)にあることから 「和泉三社」 の名称は、祭神となった天皇の陵墓にちなんだものと思われる。「明細帳」 や 「郡村誌」 は、「宝暦2年壬申(1752)8月6日鎮座すとある神祇管領卜部兼雄勧請文」 があることを記しているが、残念ながらこの文書は現存せず、江戸時代の祭祀に関するものは残されていない。明治6年に村社となり、大正2年10月10日に地内にあった無格社浅間社を合祀し、これにより祭神に木花咲耶姫を加え、現在に至っている。
 また、各耕地を組と称し、東(お諏訪様)、薄倉(稲荷神社)、上(雷電神社)、宿(不動様)をお祀りしている。境内地には、宝永5年(1708)銘の力石や宝暦9年(1759)銘の稲荷社など江戸時代の石造物があり、神社の創立も従来伝わっている時期より遡ると考えられている。

和泉三社由緒

明治18年(1885)の吽形の狛犬

和泉三社本殿覆屋

和泉三社拝殿

明治18年(1885)の阿形の狛犬

明治35年(1902)の伊勢太々講の石鳥居奉納碑(左)・山林寄附紀念碑(右)

昭和30年(1955)の伊勢太々講の寄附金奉納碑(一金五萬円也)

大正11年(1922)の伊勢太々講の奉納敷石紀念碑

和泉三社二の鳥居

(参道両側の植栽は全てアジサイである)

手水舎

天保13年(1843)の手水石

和泉三社両部鳥居

明治30年(1897)の吽形の狛犬

明治30年(1897)の阿形の狛犬

鳥居に掛かる和泉三社の扁額