江戸から川口・岩槻を通るこの道は御成街道ともいい、千住から草加・越谷・粕壁・杉戸を通る日光道中と上高野村(現在の南2丁目地内)で合流します。
 江戸幕府第3代将軍の徳川家光が日光東照宮参詣のために整備した街道で、その後も歴代の将軍がこの道を通りました。この街道に沿って、並木の松や道標、正徳2年(1712)銘の庚申塔が残されています。
 琵琶溜井は、万治3年(1660)に、関東郡代伊奈忠克が、利根川の水を幸手領に導くため、古利根川を整備したダムのような施設です。その形が楽器の琵琶に似ていたことからその名があります。
 溜めた水は、圦樋(いりひ)という水門から葛西用水、中郷用水、南側用水として分水され、その機能は今も変わりません。土地の人がここを 「樋の上」 と呼ぶのもそうした歴史にちなんでいます。
(幸手市教育委員会)

正徳2年(1712)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

「日光御成道と琵琶溜井」 説明