手水石

昭和8年(1933)の伊勢参拝記念碑

皇紀2600年(昭和15年=1940)の公徳箱と刻まれた手水石

昭和17年(1942)の富士登山参拝紀念碑

浅間神社本殿

浅間神社拝殿

石祠が祀られた境内社

 和戸浅間神社の創建は明らかでないが、江戸時代の初め個人持ちの社であったものを、文化14年(1817)に富士信仰の集団である富士講持ちの神社になったと伝えられている。明治32年東武鉄道の敷地となったため、現在地に移転した。
 祭神は木花咲耶姫命を祀る。祭礼は6月30日で 「ウラ浅間」 と呼ばれ、文化14年旧暦5月30日に初めて行なわれたという。以来、子供の成長を願う初山の行事として毎年参詣者で賑わう。祭礼当日には参道に燈籠が飾られ、大正時代の初めから昭和45年まで山車も曳かれていた。近年その山車も新たに造られ復活し、夏祭りで曳かれている。また、当社では11月初旬に七五三の行事も行なわれている。
 富士信仰は、富士山を中心とする山岳信仰の一つで古代よりあったが、特に江戸時代後期には庶民の間にも広がり絶頂を極め、各地に小富士も築かれた。天保14年(1843)の将軍日光参詣不二道奉仕者国郡村数控には 「和戸、西粂原、東粂原」 等の村名も見られ、信者の分布の様子を知る事が出来る。(宮代町)

浅間神社由緒

浅間神社両部鳥居

鳥居に掛かる浅間神社の扁額

築山の上に建つ浅間神社社殿