愛宕神社の祭神は加具土命であり、境内には松尾神社(祭神、大山咋命・伊弉諾命・伊弉冉命・徳川家康)、稲荷神社(祭神、倉稲魂命)、天神社(祭神、菅原道真)がある。加具土命は火防、盗難除、安産の神、子育の神として知られ、近年は、神学・就職の神として信仰を集めている。
 神社の創建は明らかではないが、江戸時代初期の 「武州岩槻城図」 に愛宕神社が記されている。言い伝えによると、長禄元年(1457)に太田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城郭として外堀と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり、風雨に晒された小板に微かに加具土命という字が見えた。これは火防の神(愛宕大神)であるので土塁上に移し祀った。その日が現在の7月24日であるので、今でも祭礼日として祭典を行っている。
(埼玉県岩槻市)

 戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいた。この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約8㎞に及んだという。
 この大構は、天正年間(1580年代)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。
 廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は、大構の姿を今に留める貴重な遺構しなっている。
(さいたま市教育委員会)

岩槻城大構(おおがまえ)説明

昭和30年代の岩槻城大構

境内社の天神社

本殿境内修復・愛宕会館建設記念碑

稲荷大明神石祠

稲荷神社本殿

境内社の松尾神社

境内社の稲荷神社

愛宕神社由緒

拝殿に施された龍の彫刻

愛宕神社拝殿

阿形の狛犬

参道石段

吽形の狛犬

明治20年(1887)の手水石

愛宕神社石鳥居

手水舎