聖観世音菩薩立像

 板碑は鎌倉時代から室町時代にかけて墓塔、供養塔などとして建てられたもので、板石塔婆、青石塔婆ともいわれます。秩父に産する緑泥片岩など、石材に恵まれている埼玉県付近には特に多く見られます。
 現存高70㎝、幅33㎝。線彫りした阿弥陀如来像しか残っていませんが、欠損した下部の一部に月輪が見えることから、観音菩薩と勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像を図像で表現したことがうかがえます。また、残っている銘文から室町時代から盛んに行なわれるようになった 「月待供養」 の板碑であったと考えられます。月待供養とは、23日などの月の出を待つ民間信仰で、月宮殿におわす月天子を拝み無病息災を願ったもので、さいたま市は、県内でも月待信仰が盛んな地域であったといわれており、この板碑も、当時の民間信仰を知る上で貴重な資料です。
(さいたま市教育委員会)

阿弥陀三尊図像月待供養板碑説明

願生寺本堂

六地蔵尊

南無阿弥陀仏名号碑