呉竹のなをき すがたを人ことに 見てと学べと 思う一ふし
遷喬館は、江戸時代後期の寛政11年(1799)に岩槻藩の学者児玉南柯が青少年の教育のために創立した家塾で、後に藩校となりました。最盛期には梅林を伴った広大な敷地の中に、武芸稽古所、菅原道真を祀る菅神廟(天神社)、南柯の自宅
「梅亭」、築山・池泉、展望台などが設けられていました。
現存する建物は、遷喬館の学舎(校舎)として使用されていたもので、15畳と9畳からなる2間続きの教場を備えています。
江戸時代には全国に多くの藩校がありましたが、県内において保存されている藩校は、遷喬館が唯一のもので、昭和14年3月31日に埼玉県の文化財(史跡)に指定されました。
(さいたま市教育委員会)
遷喬館表門
遷喬館内部(教場)
茅葺屋根の遷喬館玄関
遷喬館説明
懐徳碑