江戸時代に幕府や岩槻藩が定めた犯罪手配・大災防止等を木札に書き、高々掲げ、庶民に知らせるため人の集まる道辻・船乗場・宿場に設けられた広報板です。
例えば生類憐みの令・渡来銭通用禁止令・享保の改革の贅沢禁止令・キリシタン禁止令がありました。
市宿通りの新町横町辻にも高札場がありました。現在、日本橋品川河岸・木曽街道馬籠宿・妻籠宿・倉賀野・甲州街道府中などにあります。
市宿通りは、徳川将軍が日光東照宮を社参した日光御成道で、六斎市(1と6の日)の発祥地として市が開かれ、当時は大変賑わいました。近くには八雲神社(市神様)が鎮座されています。
問屋場とは、旅人の荷物を次の宿場まで運ぶ場所で、通信業務(伝馬制)があるため馬役人を揃えた場所です。経費は、間口により地元で費用負担し、不足の時は、補うための助郷制がありました。
(市宿通り道路整備協議会)
高札場と市宿通り説明
市宿通り
日光御成道岩槻藩高札場表札
高札場跡モニュメント
(手書きの説明版は文字が消えている)