左から一面六臂の青面金剛の庚申塔3基、文政元年(1818)の馬頭観世音

廻国供養塔・種子石塔などの無縁塔

地蔵菩薩立像

殉死家臣の墓(左)・初代藩主正次の墓(中)・3代藩主定高の墓(右)

 江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の二代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と燈籠で、計12基からなります。境内2ヵ所に分かれ、ここには阿部家初代藩主正次の墓(五輪塔、高さ4.3m、150年忌に建立)と3代藩主定高の墓(五輪塔、高さ4.4m)、定高に殉じた家臣小倉輿兵衛政光の墓(五輪塔)の他、3対6基の燈籠(うち2基は末裔である幕末の老中阿部正弘が、正次の200年忌に建立)があります。
 また、別の区画には、正寿院(2代藩主重次の後室で、3代藩主定高の母)の供養塔(宝篋印塔、高さ4.7m)と1対2基の燈籠があります。
 江戸時代前期の藩主の墓・燈籠がまとまって遺存し、岩槻藩や阿部家の菩提寺としての浄国寺を研究する上で基本的な資料となっています。
(さいたま市教育委員会)

3代藩主定高の母(正寿院)の墓

岩槻藩主阿部家の墓説明

浄国寺山門

山門に掛かる栴檀林の扁額

浄国寺本堂

浄国寺庫裡

石燈籠

鐘楼

本堂に掛かる佛眼山の扁額

三つ葉葵の紋が付いた賽銭箱