寛政4年(1792)の常夜燈

元禄15年(1702)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

明治42年(1909)の神社合祀碑

一面六臂の青面金剛の庚申塔

伊勢太々連碑

稲荷神社の狛狐

境内社の紙垂と神鏡

境内社

境内社の稲荷神社

明治30年(1897)の手水石

手水舎

 久伊豆神社の御祭神は、国土開発・生成化育・子孫繁栄を掌る大己貴命(大国主命)です。
 天文年間(1532-33)頃、勧解田盛之という人が当地に来て、田んぼを開き農人(のびと)となり、この地に留まるようになったのが、この村の祖といわれています。
 元亀年間(1570-73)、時の岩槻城主太田資正は、岩槻城の西方箕輪郷の一部向原を分け、村高875石を以って加倉村と改めました。その頃、農人が祀っていた久伊豆大明神を村の鎮守 「久伊豆神社」 として神璽を奉じて中島の地に遷し祀られました。
 明治5年に村社となり、翌明治6年11月11日本殿の落成を見、同29年11月に拝殿が再建されました。正面の扁額に久伊豆神社」・稲荷社・宗像社・籠神社・水神社と掲げらており、いくつもの神様が祀られていることが分かり、それぞれの神様がこの加倉地区・加倉の人々をお守りくださっております。久伊豆神社は加倉の鎮守様(氏神様)であります。

拝殿に掛かる稲荷社・宗像社・久伊豆神社・籠神社・水神社の扁額

久伊豆神社本殿覆屋

久伊豆神社本殿

鳥居に掛かる久伊豆神社の扁額

久伊豆神社拝殿

久伊豆神社両部鳥居

久伊豆神社由緒