一里塚は、江戸日本橋を起点に主要街道に一里(約4㎞)ごとに設けられたもので、道の両側に大きさ5間(約9m)四方の塚を築き、榎などを植え、往来の目安とされていました。
この一里塚は、江戸時代の初期に築かれたもので、江戸から8里、岩槻へ1里の日光御成道上にあります。当時は、道路の両側に塚を築き、塚上に榎が植えられていました。現在は、明治初年に西側が取り払われたため、東側の塚のみが残ります。この塚も道路改修などで築造当時よりも小さくなり、榎も二代目が植えられています。
なお、日光御成道は、江戸時代に将軍が日光東照宮へ参拝するに際し通行したもので、江戸の本郷追分から王子、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経て、幸手で日光道中に合流する6宿12里の道でした。
(さいたま市教育委員会)
弘法大師廻国供養塔
正徳4年(1714)の一石六地蔵尊
史蹟膝子一里塚碑
膝子一里塚案内
台座に 「秩父坂東四国西国」 と刻まれている
膝子一里塚跡(南側から)
膝子一里塚標柱
膝子一里塚跡(北側から)