片柳歴史散策コース 光徳寺案内
光徳寺は、徳川三代将軍家光から慶安2年(1649)に寺領13石を賜わっています。江戸時代を通して将軍家から領地を賜わっているには市内では13寺社だけですので、将軍家が光徳寺を重くみていた証といえましょう。9通の朱印状が今も大切に保管されています。
天保14年(1843)12代将軍家慶の日光社参にあたっては休憩所に定められており、将軍は休憩後、寺から岩槻城下手前の綾瀬川まで歩き、大橋を渡ったのち駕籠に乗り岩槻城へ入っています。なお、日光社参は家慶を最後に再び行なわれることなく、25年後に明治維新を迎えることとなります。
(さいたま市教育委員会)
地蔵菩薩立像
手水石
光徳寺堂宇
六地蔵尊
つくばい
光徳寺は、曹洞宗の寺で江長山と号し、片柳の萬年寺の末寺で、本尊に薬師如来を安置している。
寺の開創は文禄4年(1595)といい、開山の僧快厳は慶長6年(1601)11月19日に亡くなっている。
当寺は、江江戸時代の三代将軍徳川家光以降代々13石の寺領を賜り、それを証する朱印状が残されている。
寺の西側を通る日光御成道は、将軍の日光東照宮参拝に際しての専用道として使われ、当寺はその休憩所となっていた。休憩時の将軍御愛用の品は残念ながら失われ、今では見ることができない。
(さいたま市)
光徳寺本堂
本堂に掛かる光徳寺の扁額
光徳寺参道
光徳寺由緒