この長屋門は茅葺寄棟造りで、桁行21.200m、梁行5.465mあり、中央の通路部分は幅4.740mあります。この通路部分の正面は、いわゆる 「立ち隠れ」 がある形式で、半間下げて門構えが設けられています。なお、弘化元年(1844)の建立年を記した棟札が伝わっています。
 長屋門については、その建立年代に加えて、立ち隠れの有無、格式張った門構えか否か、扉が両開きか引分けか、門の両脇空間が閉鎖的か否か、という構造上の4点に着目することが、その成り立ちを理解する上での手助けとなります。市内の指定文化財を例にとると、「大門宿本陣表門」(県指定・元禄7年―1694)や 「永田家長屋門」(市指定・江戸時代末期)は立ち隠れがあり、冠木のある門構えに両開きの扉を持ち、両脇は閉鎖的な部屋で、一部板床が張られ、番所もあります。一方、旧武笠家長屋門(市指定・天明3年―1783)は立ち隠れがなく、引き分け戸で、背面はすべて開放され、全面が土間となっています。前者は武家の薬医門にも通じる形態といえ、後者は門というよりも納屋といった印象を受けます。
 深井家長屋門を正面から見ると、前述のとおり立ち隠れがあり、堅固な門構えに両開きの扉を吊っています。規模が大きいこともあって、江戸時代には上野田村天領分の名主役を勤めた深井家として、必要な格式を備えた表門であるといえます。しかし、背後から見ると、ほとんどの部分が開放となっていて、かつて同家で盛んに行っていた柿渋作りをはじめとした各種の農作業にあたって、欠くことのできない作業場であったことがわかります。格式と実用性とを巧みに両立させた建築といえます。
 市内に残る長屋門の中でも江戸時代に遡るものは少なく、さらにその多くは屋根などの外観に変更を受けています。その中で深井家長屋門は当初の姿を伝え、建立年代も判明している貴重なものです。また、近世農村の名主家屋敷における門の位置付けを伝える資料でもあります。
(さいたま市教育委員会)

深井家長屋門

深井家長屋門

深井家長屋門説明