境内社の秋葉社
境内社の稲荷社
境内社の雷電神社
見沼代用水東縁(ひがしべり)の流域の農業地域の一角にある上野田は、江戸中期から将軍家の保護のもと 「野田の鷺山」 として知られ、鷺の一大繁殖地であった。昭和40年代以降、環境の変化などのため、鷺の飛来は絶えてしまった。
当社は、この上野田の鎮守として祀られてきた神社で、「風土記稿」 上野田の項にも 「氷川社 村の鎮守なり、照光寺持 末社雷神社」 と載る。当社の創建の年代は不明であるが、村民の菩提寺となってきた曹洞宗の照光寺の創立が寺伝に承応年間(1652-55)とあるところから、当社もまた村の発展に伴って照光寺と同時期に勧請されたものと思われる。ちなみに、照光寺は、元来は当社の裏手にあったが、神仏分離の後、現在地に移転した。
一方、「明細帳」 記載の由緒を見ると、「創立不詳、明治6年4月村社に列せられる、往古は諏訪社一柱ありしがいつの頃か合祀したりと云伝ふ」 とある。ここに載る諏訪社は、「風土記稿」
に当社の末社として記されているもので、当社に合祀された形になっているが、実際は現在も旧地(自治会館のある所)に社殿が残り、祭りも行なわれている。当社の本殿は明治25年12月、拝殿は同41年9月に改築され、同じく41年の11月には、同大字字東台の村社天神社とその境内社の稲荷社・琴平社・疱瘡社の3社を合祀」した。
氷川社御由緒
氷川社本殿
手水舎
文政12年(1829)の手水石
天保9年(1839)の常夜燈
天保9年(1839)の常夜燈
幟旗立て脇に建つ安永2年(1773)の一面六臂の青面金剛の庚申塔
鳥居に掛かる鎮守氷川神社の扁額
氷川社石鳥居
氷川社拝殿
氷川社本殿