紀伊殿鷹場定杭跡
 鷹を使って鳥などを捕まえる鷹狩は、江戸時代には、有力大名にだけ許されていました。その目的は、娯楽と共に、農民の生活の状況を視察したり、体を鍛える軍事訓練にもありました。
 江戸時代の鳩ヶ谷周辺は、南の辻村や小渕村までは徳川将軍家、鳩ヶ谷宿から北は御三家の紀伊徳川家の鷹場に指定されていました。この鷹場定杭は、その境を示しています。
 杭の大きさは、辻村にあった鷹場定杭の記録では、7寸(21㎝)角で、高さは1丈3尺(3.9m)、杭の周囲には囲いが施されていました。
(川口市教育委員会案内板より)

紀伊殿鷹場定杭図

日光御成道分間延絵図の鳩ヶ谷宿部分