ご神木の大銀杏
社務所
乳根が下がっている
末社の須賀神社
末社の出世稲荷神社
末社の大国神社
撫で大黒天
厄割石
末社へ向かう参道の絵馬掛
当社創建は、天正年中(1573~室町末期)に今の地に再建されたとあり、約500年前と推定される。「風土記稿」 に、樋爪(ひのつめ)村(二十九日村)・十二月田(しわすだ)村・前田村・二軒在家村のお鎮守とあり、現在の十二月田を含む朝日町全域となっている。鎮座地は樋爪村の西端にあり、氏子が氷川大神を拝する時は、西方にある芝川を望むがごとくある。現在、社殿裏手の道路は、かつての芝川の堤防跡である。
御祭神は素戔嗚命、櫛稲田姫命の二柱で、神仏分離まで内陣には聖観音を奉安していた。また、素戔嗚命を 「牛頭天王」 として祀る須賀神社が合祀されている。
「明細帳」 によると、明治40年6月14日、大字十二月田字大坪にあった村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社が当社に合祀されている。内陣にはこの両社いずれかのものと思われる
「正一位稲荷五柱大神」 と墨書きされた神璽(しんじ)と、高さ25㎝の自然石がある。
本殿は一間社流造りで、銅板葺きの屋根となっている。拝殿内には川口市青木の氷川神社の随神門にあった左大臣、右大臣が奉安されている。大正12年の関東大震災で社殿が倒壊するも、昭和13年7月25日に再建。その後老朽化した建物すべてを
「平成の大造営」 と称して再建し、平成15年5月、新社殿・社務所が木の香清しく完成となった。
朝日氷川神社由緒
最も古い天保7年(1837)の手水石
平成14年(2002)の石鳥居
手水石が3つ並ぶ手水舎
朝日氷川神社拝殿
拝殿に掛かる朝日氷川神社の扁額
朝日氷川神社本殿覆屋