千手院跡
 千手院は、昭和45年(1970)に坂下町2-15-14へ移転するまで、この場所にありました。山号は鳩井山、宗派は曹洞宗です。戦国時代の永禄3年(1560)に市内の里にある法性寺の4世が開山として創建されました。
 神仏混淆であった江戸時代に、千手院は、現在地の近くにあった富士山の神を祀る浅間社を所管していましたが、その社頭に掲げていた戦国時代の弘治2年(1556)に作られた鰐口は、市の文化財に指定されています。
(川口市教育委員会)

大正初期の千手院

日光御成道分間延絵図の鳩ヶ谷宿部分

この鰐口には 「富士浅間鳩ヶ谷地弘治2年・鈴木赤済、江戸鋳物師宇田川信重」 などの文字があります