明治6年(1873)、川口市域最初の小学校である川口小学校が、旧芝崎平七邸の離れを校舎に利用し開設しました。これが現在の本町小学校の前身になります。
 この小学校は、洋風の白いアーチ状の校門があったため 「白門小学校」 と呼ばれ、校門から校舎までの通りを 「白門通り」 と呼び親しまれました。道を挟み向い側にある御成道(現在の本一通り)に向かう小路が 「白門通り」 の名残です。
 当時の芝崎家当主芝崎平七は、私費を投じて小学校の運営に尽力し、明治12年3月1日の埼玉新報には 「川口町芝崎平七の功労」 と紹介され、新たに校舎を建て生徒の教材文具にも心配りをしていたことが伝えられています。
 川口における学校教育がここから始まったのです。

第36番川口小学校(芝崎邸)の遠景

新道路敷設前の芝崎邸と白門の位置図

旧白門通りと旧芝崎平七邸説明