この寺の境内に祀られている地蔵尊は 「とうがらし地蔵」 と呼ばれ、咳の病に霊験あらたかなことで知られている。「江戸砂子」 に 「当寺境内に浅草寺久米平内のごとき石像あり。・・・仁王座禅の相をあらはすと云へり。」 とある。
 寺に伝わる元文3年(1738)の文書によれば、僧の 「覚宝院」 が、元禄15年(1702)人々の諸願成就を願い、また咳の病を癒すため自ら座禅姿の石像を刻み、ここに安置したという。以来人々は 「覚宝院」 が、「とうがらし酒」 を好んだことから、とうがらしを供え諸願成就を願ってきた。
 尊像は、昭和20年(1945)5月の空襲にあい、その後再建されたものである。なお、「とうがらし地蔵」 とともに名の知られた 「とうがらし閻魔」 は、焼失したままとなっている。
 江戸時代、「旧岩槻街道」 の道筋にあたるこの辺りは、植木屋が多かったところから、「小苗木縄手」 それがかわって 「うなぎ縄手」 と呼ばれていた。
(文京区教育委員会)

正行寺

正行寺本堂

本堂に掛かる親縁山の扁額

地蔵堂

地蔵堂の 「とうがらし地蔵」

とうがらし地蔵縁起