日光御成道は、王子から岩槻を経て幸手で日光街道と合流する奥州(日光)道中の街道として重要な道でした。特にこの道が五街道に次いで重要視されていたのは、将軍日光社参の時に将軍一行の通る御成街道であったためでした。
 将軍の日光社参というのは、将軍が4月17日の家康年回忌などに日光東照宮に参詣することですが、その行列はとても華やかだったそうです。しかし、その費用は莫大なもので、一度社参すると幕府の財政を圧迫するほどでした。
 また、将軍日光社参の年に当たると道中筋では代官の陣頭指揮のもと、村民総動員の形で御用を勤めたため、これに対する沿道の名主や村人の負担は大変なものでした。

 十条の台地から稲付の低地に下る岩槻街道(旧日光御成道)の坂である。
 昔はけわしく長い坂道だったので、十条の長坂などとも呼ばれた。切り通しの崖からは絶えず清水が湧き出ていたので、清水坂の名が付けられた。
 現在は崖が削りとられて、その跡に児童遊園が設けられているが、そこは貝塚遺跡でもあった。

八幡山児童遊園

清水坂説明碑

歴史と文化の散歩道説明碑