十条富士塚説明
十条富士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、富士信仰にもとづく祭儀を行なってきた場所です。
現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条富士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参拝するに先立ち線香を焚きますが、これは富士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あります。銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には富士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に建立されています。この年は、富士講中興の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当たりました。石造物の中に
「富士山遥拝所再建記念碑」 もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行なわれ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の5合目近くの小御嶽神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が参頂して富士山を遥拝し、講のl祭儀を行なうために造られたことが知られます。
(北区教育委員会)
再整備前の十条富士塚
十条富士塚頂上にあった石祠
再整備後の十条富士塚イメージ図