一里塚は、江戸時代、日本橋を起点として、街道筋に1里(約4㎞)ごとに設けられた塚である。駄賃の目安、道程の目印、休息の場として、旅人に多くの便宜を与えてきた。
ここは、日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道で、中山道の最初の一里塚があった。18世紀中ごろまで、榎が植えられていた。度々の災害と道路の拡張によって、昔の面影を留めるものはない。分かれ道にあるので、追分一里塚とも呼ばれてきた。
ここにある高嶋屋は、江戸時代か続く酒店で、両替商も兼ね 「現金安売り」 で繁盛した。
(文京区教育委員会)
追分一里塚跡(区指定史跡)説明