日光型庚申塔の特徴は板駒型で上部左右に日月を陽刻し、中央上部に梵字を彫り、銘文に「奉信禮庚申青面金剛供養塔」などと刻む。さらに、上部に向かい合って合掌する二猿が陽刻され、下部に蓮華が刻まれている。この庚申塔は日光地区に多くみられるが、天和2年(1682)以降は確認されていない。
この境内で寛文2年(1662)から延宝8年(1680)の間に建てられた七基が指定されている。寛文2年6月には稲荷川の大洪水があり、かつて対岸にあった稲荷町が流失して多数の犠牲者が出た。その後、この地域に町が移転するが、年記銘に
「寛文二壬寅歳南呂十九日」 とあり、8月に供養塔が建てられたことがわかる。
寛文6年から延宝8年までは、毎年のように建立されており、人々が町の安泰を願っていたことがうかがわれる。
<解説板より>
右の2基は日光型庚申塔
日光型庚申塔
青面金剛と刻まれた庚申塔
太子堂
太子堂本堂
御堂に掛かる聖徳太子堂の扁額
神輿庫に掛かる大杉神社の扁額
大杉神社神輿庫
大杉神社神輿
手水舎
文政10年(1827)の狛犬
虚空蔵尊社殿
文政10年(1827)の狛犬
社殿に掛かる虚空蔵尊の扁額
不動明王 ・ 石祠
庚申供養塔