苔むした地蔵菩薩坐像
十九夜塔の如意輪観音
釈迦如来らしき石仏
如意輪観世音碑
文化13年(1816)の如意輪観音
寛政10年(1798)の如意輪観音
寛文2年(1662)稲荷川の大洪水により、日光山内東側の稲地町の140余人が溺死した。笠塔婆は寛文3年に建立された供養塔である。
唐橋号・大針号・王朝号・奉璉号の4馬の名が刻まれている。
南無阿弥陀仏と刻まれた供養塔
日光東照宮神馬の墓
奪衣婆像と閻魔五王
書記官と閻魔五王
この石仏は寛文5年(1665)に作られたものであり、十王堂の本尊として堂内に安置されていたが、昭和30年(1955)の大暴風雨により、御堂が大破したため現在地に遷座した。
閻魔大王
六地蔵尊
亡者を判ばく(地獄極楽)閻魔法王庁の図
十王堂の扁額が掛かる御堂内陣