不動堂の不動明王

とちぎ名木100選に選ばれた推定樹齢350年のとちのき

不動堂の勢至菩薩

宝篋印塔

享保年間(1716~1735)に、芳賀郡田野辺村(現市貝町)の宮大工永野万右衛門の手で完成した堂宇で、市内で最も古い木造建築と言われている。
堂は、入母屋風の二重屋根(現在は瓦葺であるが以前は石葺)で、基礎は大谷石を二重積にして土台に使用した珍しいものである。
また、斗拱(ますぐみ)・欄間等にみられる彫刻は特に優れたものと言われている。
なお、堂内には、木造地蔵菩薩立像(県指定)が安置されている。

延命院山門

山門に掛かる摩尼山の扁額

延命院本堂

19才で仏門に入り、30才で唐に渡る。都、長安の青龍寺に於いて、高僧・恵果の弟子となり修業をなす。在唐2年、業を修めて帰国、空海の帰国、これこそ真言密教上陸の尊い姿である。
求法の旅を果たし、故国の大地を踏みしめた、若き弘法大師の凛々たる姿を表現したものである。

解説碑より

「寛政の三奇人」の一人といわれた蒲生君平は、明和5年(1768)、新石町(現小幡一丁目)に生まれました。6歳のとき、自宅から近い、ここ延命院の住職良快から読み・書きの手ほどきを受けたといわれています。近畿地方などの陵墓(天皇皇族の墓所)の研究書である「山陵志」をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。

唐から帰国時の弘法大師像

「蒲生君平修学の寺」 解説

境内社の稲荷社石祠

不動堂

鐘楼

御堂に掛かる地蔵堂の扁額

「延命院地蔵堂」 解説

享保年間(1716-35)建築の地蔵堂

蒲生君平先生少年時代修学の寺碑

本堂に掛かる西国坂東秩父巡拝満願祈念の扁額

延命院本堂内陣

六地蔵尊