宇都宮市熱木山
 持宝院に鎮座する不動尊像は、初代下野の国司宇都宮宗円公天皇の命を受けて奥州の賊徒征伐に遠征、城山村多気山頂に陣を張りし時に戦勝を祈願して不動尊像三体を造成したという内の一体で、世にも得難い不動明王で、願い事叶うという伝説がある。
九代公綱公
 多気山より城を宇都宮本丸に移転するに当り、第一に守護神である不動明王尊像を宇都宮城内南方畑中に建立。国綱代に至り秀吉に伏せず、以って検地の不正を理由に宇都宮家は秀吉に取潰しとなり、さすが古城を以って日本に誇れる名城も茲に全く断絶するに至った。
 而して豊臣家滅亡して徳川家に至り、宇都宮城復元するや、釣天井事件で有名な本多正純十八万石城主として赴任したるも一年有余にして出羽山形に配流となり、後任に家康の娘婿奥平美作守の入城するや産業に志し、特に織物を奨励し、大いに声価を上げたという。
 斯くして宇都宮城の安泰を祈ってまつられた不動明王であった。
 康平2年(後冷泉天皇・西暦1519年)以来茲に星霜9百余年、そしてその歴史の中には、幾多の災悪が来したことであった。
 大洪水、大火災、地震、暴風、戦争等々。次から次へと起る災難を突破して漸く今日の安泰と幸福を見る事が出来た次第で、これ皆不動明王の御利益と断ずるものであります。

厨子の中に赤い火焔を背にした不動明王が祀られている

熱木山不動尊由来

熱木不動堂 (熱木公民館)

木造の鳥居

鳥居に掛かる不動尊の扁額