この二つの塚の間を通っている道が江戸時代の五街道の一つ、日光街道です。江戸幕府が五街道の整備に着手したのは慶長9年(1604)で、栃木県令三島通庸が今の国道4号を作ったのが明治17年(1884)ですから、この日光街道は約280年もの間、東北地方への主要道路として使われていたのです。

 一里塚は、江戸の日本橋を基点として一里(約3.927km)ごとに築かれました。小金井一里塚はその22番目の塚で、江戸から22里(約86.4km)の地点であることを示したています。(実際の距離は90㎞以上あります)

 塚は五間(約9.1m)四方の四角形に築かれ、榎が植えられましたが、今ではすっかり変形して丸塚となり、何代目かの榎と、いつの時代に生えたのか、榎と檪(くぬぎ)の巨木が同居しています。

 一里塚は、荷物や人を運ぶ賃金の標準となり、旅人にとっては道のりの目安になった、たいへん便利でした。また、現代の私たちにとって町の歴史のシンボルであり、過去と未来を結ぶ文化財です。大切に保存しましょう。

小金井一里塚碑

小金井一里塚標柱

「小金井一里塚」 解説

エノキとクヌギの植えられた東塚

エノキの植えられた西塚

両塚の間の街道幅が分かる