光了寺本堂
当初、武蔵国高柳村(現埼玉県久喜市)にあり高柳寺と称し天台宗であったが、鎌倉時代前期の建保年間(1213~1218)に、当時の住職であった円崇興悦が親鸞上人の教えを受けて西願を名乗り、浄土真宗に改宗し、その後、第六世住職悦信のときに現在地に移ったと云われる。
親鸞聖人幷静女舊跡碑
古河市名木古木指定のヒバ
大正6年(1917)の追悼碑
親鸞聖人像
本堂に掛かる光了寺の扁額
文化14年(1817)の芭蕉句碑
いかめしき 音やあられの ひのき笠
光了寺山門
宝物庫
山門に掛かる岩松山の扁額
静御前の守本尊、蛙蟆龍(あまりょう)の御衣(市指定文化財)、義経かたみの懐剣・鐙(あぶみ)のほか、親鸞上人作と伝えられる県指定文化財の聖徳太子像(松葉太子像)などが所蔵されている。