大猷院殿贈正一位大相國公尊儀
霊棺御一泊之碑

寛政3年(1791)の宝篋印塔

詳しくは、大聖不動明王と申し上げ、青黒い憤怒の面相凄く、火焔を背負って大磐石上に立ち、右手に降魔の利剣を立てて握り、左手には悪逆無道を繋縛する羂索を持ち、赤或は褐色の袈裟をつけられ、一見まことに恐ろしい感じの荒明王様ではありますが、偉い上位の仏様をお守りする役も引き受けておられる。普通、こんがら童子とせいたか童子の二童子を従えている。

当山の寝起不動明王は、むかし水戸城内龍江院に祀られてありましたが、元亀(1570-72)の頃、模庵和尚が明王の示現によって、尊像を背負い杖にすがって行雲流水の旅に立たれた。然し和尚は老弱であり日毎に衰弱がひどく、当地に辿り着くと足も動かなくなり、死ぬ苦しみで、一夜が明けようとする時、明王が枕辺に現れて申すには「この地こそ我が済度化縁の地なり、人々の病難諸難を救って無量の福徳を与えよう」と和尚は寝起され、思わず尊像をお拝すると疲労と病が一時に消えて杖も使わずに立ち上がれたという。そこで人々は寝起不動尊と呼んで、万難消滅、万福生来を祈願して御堂を建てて尊像をお祀りしたといわれる。それ以後33年を一期として御開帳祈願が行われている。現在の御堂は延享2年(1745)に建てられたものです。

龍昌寺山門

山門に掛かる天恵山の扁額

鐘楼

宝暦2年(1752)の木堂不動尊
嘉永5年(1852)の十九夜塔

徳川三代将軍家光公(大猷院)は、慶安4年4月20日示寂、上野寛永寺より同年4月24日、御霊棺奉行酒井讃岐守源忠勝以下数百名の行列により、御尊骸を日光山へ葬送途中4月26日当山に一夜御宿棺、4月28日日光山へ御到着になる。是故に御朱印七石を賜る。

徳川家光公御尊骸一夜宿棺の碑

不動堂に掛かる寝起不動尊の扁額

大きな厨子が安置された不動堂内陣

延享2年(1745)に建立された不動堂

「お不動様」 解説

寝起不動尊縁起

天恵山の扁額の掛かる本堂内陣

龍昌寺本堂

本堂に掛かる龍昌寺の扁額