主祭神は誉田別命。本殿は流造柿板葺、拝殿は入母屋造瓦葺で、鎌倉時代創建と伝えられます。例祭は10月1日。
例祭に、かつては江戸の本相撲が勧進されましたが、現在は子供相撲が行われます。
一の鳥居(市指定有形文化財)の柱銘に、元禄16年に別当寺光明寺が願主、下館の高嶋忠左衛門・乙女川岸の船問屋青木主水尉が施主となって建立したと刻まれています。
同じく船問屋山中隼人奉納の太刀(銘正宗)が、太平洋戦争直後に盗み出されて付近の畑で発見され、逮捕された賊は、これだけは怖くなって捨てたと供述したといいます。無事にもどった太刀は、現在市立博物館に展示されています。思川水運の繁栄との深い関わりが伺われます。
明治の神仏分離により光明寺は廃され、その跡には青いシートに覆われた土俵が、子供たちの元気な取り組みを待っています。
乙女八幡宮は、鎌倉時代に創祀されたと伝えられる。
元禄16年(1703)に当宮別当寺だった光明寺の住僧舜誉が願主となって建立したこの鳥居には、施主として乙女村の青木主水尉照朝と下館大町(茨城県)の有力商人高嶋忠左衛門勝広、栃木町の石屋三左右衛門らの名が銘文に刻まれている。このことから当宮は、西方の思川沿いに開けた、乙女河岸で活動する商人からも崇敬されていたことがうかがわれる。
鳥居は、神社の参道に建てられて神域や境内の入口を示すもので、元来は木造であるが、平安時代頃からは石造も現れる。
この鳥居は、島木をもつ明神鳥居形式で、規模も比較的大きく、現存するものとしては小山市で五番目に古い石造鳥居である。建立当時の位置を保っていると考えられ、目立った損傷もなく、近世前期の貴重な鳥居である。
二の鳥居
正徳元年(1711)の手水鉢
手水舎
日清日露戦役徴發軍馬紀念碑
大正5年社殿改築記念碑
「乙女八幡宮鳥居」 解説
「乙女八幡宮」 解説
文化10年(1813)の狛犬
乙女八幡宮拝殿
文化10年(1813)の狛犬
本殿覆屋
光明寺があった跡に作られた土俵
拝殿奥に見える乙女八幡宮本殿
拝殿に掛かる八幡宮の扁額