前略
将軍の社参は、秀忠の第一回社参をはじめとして、天保14年(1843)の12代将軍家慶の社参まで19回に及んだ。寛永13年4月、遷宮後の第11回社参から行列の規模も拡大された。
社参の工程は4月13日に江戸を出発して、岩槻・古河・宇都宮で各1泊、16日に日光に入り、18日には帰途につく。復路もやはり3泊4日で帰るのが恒例となった。それとともに昼食・休憩の宿や寺社なども決まり、大沢宿(現今市市)のようにそのための御殿が建てられた例もあった。
友沼の将軍御休所は、将軍が江戸を出発し、二泊目になる古河城を朝出て、最初に小休止をした場所で、八幡神社の境内にあった。次は小金井の慈眼寺で昼食をとり、石橋へという道順をとった。
以下略

「将軍御休所跡」 解説

友沼八幡神社改修工事記念碑

石祠群

友沼八幡神社拝殿

正八幡宮の扁額が掛かる二の鳥居

享保14年(1729)の手水鉢

天満神社・稲荷神社・地荒神社の合祀石祠

常夜燈

野木町指定文化財の推定樹齢550年の大ケヤキ

大ケヤキに向き合って立つ大イチョウ

享保7年(1722)の石灯籠

拝殿内に掛かる正八幡神社の扁額

友沼八幡神社本殿