南朝の忠臣贈従四位春日部重行公は逆臣北条高時の専横極まるところ、恐れ多くも後醍醐帝は壱岐に遷され給い王業の光正に淡きを嘆ずる時、護良親王の令旨を報じ勤王の義兵を春日部に挙げ、建武元年(1334)新田義貞と共に弛張の賊北条氏を鎌倉に滅ぼし建武の中興の大業を成す。
更に足利尊氏の反旗を翻して九州より東上するや大義の血潮渾(さかん)に燃えこれを京に迎え撃つ然れども南風遂に競わずして戦時に利あらず。
延元元年(1336)6月30日鷺の森において恨み深き自刃を遂ぐ、其の長子家縄遺骨を携えて帰郷し、最勝院に墳を築き此処に葬る。
大正7年(1918)其の功を嘉し、徳旨を以て従四位を贈らる。
旅人の歌碑
地蔵堂の地蔵菩薩
春日部重行公御霊古墳の記碑
さきたまの 空蒼茫と 雁渡る
青面金剛の文字庚申塔
綿文之碑
青面金剛の庚申塔
線刻された不動明王碑
春日部重行の墳墓へ通じる鳥居
従四位市祖春日部重行公之墳墓
六地蔵尊
最勝院慈恩寺本堂
本尊千手観音が安置された本堂内陣
本堂に掛かる最勝院の扁額