森昌庵追慕の碑
如意輪観音が刻まれた延宝6年(1678)の庚申塔
聖観音が刻まれた寛文13年(1673)の庚申塔
青面金剛と刻まれた文化8年(1811)の庚申塔
芭蕉句碑
行く春や 鳥啼き 魚の目は泪
文政2年(1820)に谷文晁の弟子である建部巣兆や儒学者で書家でもあった亀田鵬斎らが建立した。
小塚の中の奇岩を 「瑞光石」 と言い、この小塚から 「小塚原」 の地名が起こったという。
神楽殿
瑞光石
浅間神社
元治元年(1864)に富士塚を築き浅間神社を祀った。
拝殿東口
階段に並ぶ絵馬
瑞光殿の扁額の掛かる拝殿内
手水石
素盞雄神社拝殿
拝殿に掛かる素盞雄神社の扁額
森昌庵は、旗本池田家の主治医であり、天保12年(1841)にその死を悼んで「江戸名所図会」などの挿絵で知られる長谷川雪旦や、俳人・随筆家の加藤雀庵らの手により建立された。