水戸浪士など多くの幕末の志士の墓

藤田東湖に師事し、桜田門外の変で重傷を負って死亡した齋藤監物の墓

吉田松陰の墓所は、文久3年(1863)に高杉晋作らによって世田谷区若林に改装された。

吉田松陰の墓

儒学者・頼山陽を父に持つ幕末の思想家頼三樹三郎の墓

開国派として危険視された橋本佐内の墓

通称直侍と呼ばれた江戸後期の悪党・片岡直治郎の墓

江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒した鼠小僧次郎吉の墓

橋本景岳之碑

橋本佐内の生涯などが刻まれている

喧嘩で深手を負った自分の片腕が見苦しいと、子分に鋸で切り落とさせた江戸時代の侠客・腕の喜三郎の墓

2.26事件で処刑された磯部浅一元大尉夫妻の墓

文政4年(1821)の弘前藩主暗殺未遂事件で獄門となった南部藩士相馬大作の供養碑

明治初期の稀代の悪婦として知られる高橋お伝の墓

明和8年(1771)杉田玄白・前野良沢・中川淳庵などがここへ腑分けを見に来た。それまでにも解体を見た人は有ったが、玄白等はオランダ語のターヘル・アナトミアを持ってきて、その図を実物とひきくらべ、その正確なのに驚いた。
その帰り道三人は発奮してこの本を日本の医者のために訳そうと決心し、早速あくる日から取り掛かった。そして苦心の末、ついに安永3年(1774)に解体新書5巻を作り上げた。

杉田玄白の解体新書の扉絵がついた観臓記念碑

昭和38年(1963)、 台東区入谷で起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者、村越吉展ちゃん(当時4歳)を 供養するために建立された地蔵尊

吉展地蔵尊

水戸密勅の件で捕えられ伝馬町牢獄で死亡した小林民部の墓