「寒風にもろくもくつる紅葉かな」 と刻まれている。

高尾太夫の墓 (右側面)

高尾太夫の墓 (正面)

福徳子育地蔵尊 ・ すこやか地蔵尊

巷説に、仙台の大名、のちの伊達騒動の悲劇の主人公になった伊達綱宗とのロマンスがあり、高尾の綱宗に宛てた手紙の一節 「忘れねばこそ、おもい出さず候」、「君はいま駒形あたりほととぎす」 の句が伝えられている。この墓は仙台候の内命によって建てられたという。

高尾太夫は吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は11人いたともいわれるが、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女であった。この墓は、世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説を生んだ二代目高尾太夫の墓という。