女流俳人鷹女は、明治32年(1899)に成田町成田(現在の成田市田町)で、父三橋重郎兵衛・母みつの三女として生まれました。本名はたかです。成田幼稚園、成田小学校を経て、成田高等女学校(現在の成田高等学校)を卒業しました。
 初めは 「鹿火屋」、次に 「鶏頭陣」 などに属しましたが、のちには永く結社に拠らず、独自の句境を築きました。
  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
  白露や死んでゆく日も帯締めて
  口中一顆の雹を啄み火の鳥や
 などの句はよく知られています。
 昭和47年(1972)、73歳で永眠しましたが、生家に近い田町の、通称白髪毛にある三橋家墓所に葬られました。
  千の虫鳴く一匹の狂ひ鳴き (遺作)
 このブロンズ像は、鷹女の生誕百年を迎えるに際し、市民ならびに多くの賛助者の協力によって、彼女の姿をふるさとの地成田によみがえらせたものです。

賑わいを見せているのはウナギ店

煎餅・蜂蜜・漢方薬局・蔓製品などの店が並ぶ

歴史ある梅屋旅館・大黒屋旅館

三橋鷹女の像解説

三橋鷹女像

三橋鷹女解説碑

 俳人鷹女は明治32年この成田の地に生まれ、成田高女を卒業の後、東京に住まいました。
 句集に「向日葵」「魚の鮨」「白骨」「羊歯地獄」「橅(ぶな)」があり、その作風は凛然として、しかも婉麗、現代俳句に孤高の境を示した。 
 昭和47年永眠、市内田町の墓地に葬られている。
   この樹登らば鬼女となるべし  夕紅葉