一本松と名付けられ道行く人々に親しまれし老松が枯死することとなりしため、昭和51年6月2日伐採の止むなきに至り、惜しまれつつもその雄姿は消えたり。里人の心に残るこの松は、その昔成田街道に連らなる松並木の名残りにて樹齢200有余年を至るものなりき。
いま並木町なる地名は、その証左なり。幾歳月となく里を見下し、旅人をいざない来たりしこの老松も母なる大地に水を求め得ず、ついにその生涯を閉じたり。
その名跡を後世に遺さんと、ここに有志相はかりてこの碑を建立するものなり。
昭和52年3月建立 成田市並木町区長ほか
一面六臂の馬頭観世音
(正面)
宗吾霊神道 (右面)
安政5年(1858)戌午9月建立
(裏面)
風化の激しい石碑
宗吾霊神?
一本松跡碑
一本松碑由緒 (裏面)