飯島武雄は、下総国金江津村(現茨城県稲敷郡河内町)の出身で、通称武左衛門。雅号を桃廼家(もものや)といい、幼少の頃から神童と呼ばれ、12歳の時既に算法(和算)の奥義を究めたと言われています。後に江戸で私塾を解説して算法を教授。その名声は広まりましたが、不幸にして失明し帰国しました。盲目となって後も近郷を巡回し口授により算法を教え、門下生は千余名に達したといいます。
並木町の大坂家では、その昔寺子屋を開いており、師として飯島武雄を迎えたということで、その門弟である神山周助らが没後まもなく墓碑を建立したものです。
和算家飯島武雄の墓標柱
飯島武雄解説
飯島武雄の墓
文政10年(1827)の地蔵菩薩