堀田正睦公追遠之碑

正睦公生母の墓

堀田家累代之墓

 正倫は正睦の四男として嘉永4年(1851)に生まれ、最後の佐倉城主となり、廃藩後は士族授産に努力し、さらに堀田農事試験場を解説、地方産業発展に貢献した。

 堀田正俊は後の堀田の祖で正盛の三男として寛永11年(1634)に生まれ、将軍家光の命により春日局の養子となり、安中城主・若年寄・老中・古河城主を経て大老に栄進した。

 正睦は後の堀田第9代・文化7年(1810)に生まれ、佐倉城主にして寺社奉行・大阪城代・老中を経て老中首座・外国事務総裁となり、日米修好通商条約締結の基礎を築いた。

堀田正倫の墓

堀田正俊の墓

堀田正睦の墓