歴代藩士は本丸御殿ではなく、ここ二の丸御殿に住んでいたという。

天然記念物の夫婦モッコク

一の門跡

本丸跡

 安政3年(1856)7月、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは、フランクリン・ピアス大統領の親書を携え下田に到着した。来日の目的は、他国に先駆け日本と通商条約を結び、開国を実現させることであった。

常磐木や 冬されまさる 城の跡

姥が池

姥が池解説

堀田正睦公像

天守閣・銅櫓・角櫓・御殿が置かれ、御殿の前庭には金粉をすりこんだ栗石が敷かれていたと言われる。

本丸に入る門で、東面、木造、本瓦葺、二階建、梁間四間、桁行八間であった。

 日本を鎖国から開国に導いたことで知られる堀田正睦公は、文化7年(1810)8月1日に生まれ、文政8年(1825)に佐倉藩主となった。天保12年(1841)に幕府の老中に就き、安政2年(1855)には老中首座となり、翌年には外国事務取扱に任じられた。

 この池は江戸時代、かきつばたの名所でした。春先には近在のひき蛙が数千匹集まり、左右に分かれて昼夜7日間、蛙合戦を行っていたと、「古今佐倉真佐子」(江戸時代中頃の書物)に記されています。
 後に(天保年間)この池のまわりで家老の娘をおもりしていた姥があやまって娘を池に落としてしまい、娘はそのまま沈んでしまいました。姥は困り果て身を投げたと伝えられ、以来「姥が池」と言われるようになりました。

正岡子規句碑

タウンゼント・ハリス像

二の丸御殿跡