佐倉藩の藩校は、寛政4年(1792)に藩主堀田正順公が藩士の子弟教育のため麻賀多神社前に設立した「学問所」に始まり、文化2年(1805)には「温故堂」と称しました。 天保7年(1836)に藩主堀田正睦公が佐倉城大手門前のこの地に移転拡充し、「成徳書院」 と改称して下図のとおり、先聖殿、温故堂、礼節・音楽・書学などを教授する六芸所、文庫などを設けました。

佐倉集成学校絵図

佐倉藩藩校沿革 (裏面)

藩校成徳書院解説 (裏面)

佐倉藩藩校成徳書院跡碑