(幼名) 関太郎吉
(生誕) 明和4年(1767)1月、信州小県郡大石村 父・半右衛門(28歳) 母・けん(19歳)
(土俵歴)
・石尊の辻入門 天明元年(1781)小県郡長瀬村の石尊の辻上原源五右衛門の相撲道場
門弟として学問・相撲を修行、門下秀才4人組の一人となり、後年、巡業記録
「諸国相撲和帳」 等を世に残す。
・四股名 天明8年9月雲州(島根県)松江藩松平不昧公の抱え力士となり、寛政2年
(1790)11月江戸本場所23歳
・初出場 28歳以来、16年間2場所大関を張る・大関 21年間34場所254勝10敗引分・
預り・無勝負など、勝率96.2%
・成績 最盛時の身長6尺5寸(197㎝)体重45貫(168.7㎏)
(家族) 妻おはん(八重)は、ここ臼井の旧浄行寺(現妙覚寺と合併)の檀家飯田家の甘酒茶屋
「天狗」 の看板娘であった。結婚後、2人の間に女児1人をもうけるが幼くして亡くす。
(晩年) 引退後、妻の郷里ここ臼井で静かに過ごした。稲荷祠・石段・石橋の寄附。遺品も多く
残されている。
(没年) 文政8年2月11日(戒名雷臀院釈関高為輪信士)
(碑) 雷電153回の命日に因んで建立された。以後、毎年2月11日の命日に雷電祭が催されて
いる。
(佐倉雷電顕彰会)
改修中の妙覚寺本堂
雷電為右衛門顕彰碑
雷電為右衛門の手形
雷電為右衛門顕彰碑解説
江戸時代の寛政から文化年間にかけて無敵を謳われた名大関雷電為右衛門(1767-1825)の等身大(1m96)画像に佐久間象山(1811-64)筆の11文字を配した巨大な顕彰碑が妙覚寺(この奥に入る)境内にあります。
雷電没後153年の命日に因んで建立さたものです。
雷電為右衛門解説