現在の船橋市習志野台・習志野付近一帯は、かつて、大和田原あるいは正伯原ともいわれ、江戸時代には幕府の牧(馬の放牧場)の一部でした。その後、明治7年(1874)から昭和20年(1945)までは陸軍の演習場でした。
 明治6年(1873)4月29日、明治天皇は徳大寺宮内卿・西郷隆盛・篠原国幹ほか多くの供奉者を従え、薩摩・長州・土佐の兵からなる四個大隊2,800人の近衛隊を率いて、県下に初めて行幸されました。午後には船橋宿九日市村に到着し、櫻屋で昼食をとられました。その夜は荒天にもかかわらず、演習地の幕舎に野営されました。 
 翌30日は近衛兵の演習をご覧になり、5月1日皇居へ還御されました。同13日天皇より勅諭をもって、この原に 「習志野ノ原」 の名を賜り、その後、陸軍の演習場として定められました。これが現在の 「習志野」 の地名の由来です。
 この碑は仙台石製で、大正6年(1917)に明治天皇が演習を統監された場所(船橋市習志野台四丁目431の3)に建てられましたが、平成6年6月に現在の場所に移転しました。碑文には地名を賜った由来が記されています。
   (船橋市教育委員会)

明治天皇駐蹕之処碑解説

明治天皇駐蹕之処碑

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