石祠

地蔵菩薩像庚申塔

社務所

いつしかに 夏のあわれとなりにけり 乾草小屋の 桃色の月

 明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885-1942)は、大正5年(1916、32歳の時)7月から約1年間、妻章子とともに、この小岩村字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。ここを、「紫烟草舎」 と名付け、葛飾の風土や人情に見守られながら、短歌雑誌 「煙草の花」 を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。
 昭和36年(1961)、地元小岩町(現在の北小岩)の人々は、白秋がこの江戸川べりの農村に住み、風物を愛したことを偲び、八幡神社の境内に彼の歌碑を建てました。
   (江戸川区教育委員会)

 祭神は誉田別尊、相殿は倉稲魂尊を祀っています。創建は不詳ですが、元禄8年(1695)の記録には神社の名が見られます。地蔵尊菩薩像庚申塔(万治元年銘)この地蔵は、詩人として知られる北原白秋ゆかりの三谷の地にあって、三谷地蔵として親しまれ、現在は境内右奥にある社務所の中に安置されています。銘文から、万治元年(1658)、庚申供養のために造立したことが知られます。庚申塔は、60日に一度巡ってくる庚申の日の夜に、眠っている人の体内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。
  (江戸川区教育委員会)

地蔵まつり盆踊りの提灯が掛かる鳥居

狛犬

狛犬

八幡神社拝殿

北原白秋の歌碑解説

文政7年(1824)の手水石

北原白秋の歌碑

拝殿に掛かる八幡神社の扁額

八幡神社本殿

八幡神社由緒