御成街道(東金街道)は、慶長18年(1613)12月徳川家康の命を受けた佐倉藩主土井利勝が3日3晩で造成したと伝えられています。
家康の東金への鷹狩等のために作られたとも言われ、船橋から東金までほぼ直線で結ばれています。徳川家康・秀忠・家光が御成街道を通り東金周辺で鷹狩等を催しました。将軍や大御所がお通りになる(御成になる)というので、御成道と呼ばれたと言います。
前原西一丁目は成田街道と東金街道との分岐点です。明治12年(1879)に成田山の信徒と地元前原の有志が建てた道標があり、前面には「左成田山道」と刻まれています。また、右側面は、「成田山従是房総街道」(御成街道を房総街道としています。)左側面には「成田山道」と刻まれています。江戸時代、主要な街道などには、一里ごとに一里塚を置いて松などの木を植え旅人の目印としていましたが、船橋を過ぎると一里塚は次のように置かれていました。
① 一里塚 習志野市実籾
② 向山 千葉市花見川区
③ 焼塚 千葉市若葉区若松町
④ 提灯塚 千葉市若葉区千城台東
⑤ 榧の古木 千葉市若葉区豊田町
⑥ 一里塚 八街市上砂
⑦ 殿山 東金市黒田
一里塚 東金市油井
御成街道(東金街道)について
成田山道 (西面)
成田山 従是房総道 土倉弥兵衛所 (南面)
維時明治十二年己卯三月立之発起人 應阿弥新三郎謹書 高橋善助謹書 (東面)
旧御成街道