古老の言に依れば本尊石仏地蔵尊は、安政年間に疫病流行せしため、原田氏先代が土地を寄進し、特に西福寺住職に請い、住職またその願いを容れ、自ら経十万遍を誦して奉安せしもににて、霊験あらたかに徳兵衛地蔵と俗称す。徳兵衛は隣地原田氏の屋号たり。
大師像は篤信家文左衛門宅にありしものを詣するらめのの不便を考えて此処に奉遷せらるものたり。明治初年道は堂宇なきも地元信者により建立せらる。
原田家との境界に目通り大余の榧の樹あり、当初からあったものと伝えらる。
堂内に板額あり、(梵字は読めない)とは此の世をかけて未来まで・・・の如くにて、大安楽の身となるとの意にて安置当時のものと思考す。
当初敷地28坪ありしが、国鉄道路新設により、当地35㎡となる。現在西福寺境外仏堂にて昭和43年3月新築、今年5月地元信者と共に供養を奉修す。
天保4年(1833)の弘法大師塔
榧の大木と地蔵祠
地蔵菩薩立像
由来碑