この稲荷神社は御蔵稲荷と呼ばれ、祭神は宇賀魂神である。この神は元来作物、食物の神であり、土地の守護神でもある。神社周辺は歴史的由緒が深く、様々な史話を伝える。江戸初期の慶長末年、現在地周辺に初代徳川家康が船橋御殿を建て、二代秀忠、三代家光が度々宿泊休憩をした。四代家綱により廃され、跡地は富氏に与えられた。三代家光の正保年間に、その一角に九日市村の飢饉に備え穀物を蓄えておく御蔵が建てられ、当時、郷御蔵と呼んだ。御蔵のお陰で当地では延宝・享保・天明の飢饉にも餓死した者はいなかった。寛政3年御蔵は出水のため流失、御蔵への感謝を込め地元民が浄財を募り稲荷祠の社殿を大きく建直し、四季折々の祭りを行ってきた。慶應4年船橋宿一帯は戊辰戦争の兵火のため大半が焼失させられた。その復旧工事中の翌明治2年土取り中御蔵稲荷東北、郷御蔵あたりから、渡来銭の詰まった大瓶三口が出土した。瓶は高さ四尺(1.2m)中国銭貨の洪武通宝、永楽通宝など250貫余(約940㎏)も入っていた。地元では馬6頭で葛飾県庁に届届けたが、一部恩恵に浴した者もあったという。その後明治21年に、経線を刻んだ「銭瓶遺跡之碑」を建立したが、昭和中期頃失われた。(以下略)

御蔵稲荷神社の由来碑

拝殿に掛かる御蔵稲荷神社の扁額

拝殿内部

 飢饉に備え穀物を蓄えたり、年貢米を一時的保管したりするため、村々に建てた倉庫を郷蔵あるいは郷御蔵と呼んだ。九日市村の郷蔵は江戸時代寛永年間の終わりから正保の初め頃(1640年代)に建てたと伝えられ、150年程後の寛政3年(1791)に津波で失われた。以降は再建されなかったが、名主が貯えを預かり保管することになった。
 安永4年(1707)の船橋御殿地跡絵図には、敷地と共に「郷御蔵」と記されている。
 九日市村は、現在の本町・湊町・北本町の町域にあたる。
   (船橋市教育委員会)

鳥居に掛かる御蔵稲荷神社の扁額

御蔵稲荷神社鳥居

九日市郷蔵跡解説

狛狐

手水舎

狛狐

御蔵稲荷神社拝殿