二子藤の池
二子藤の池解説
二子藤の池 (藤棚がある)
二子の地には、溜(ため)が多くありました。これらの溜はいずれも良好な湧水を誇り、田圃や生活に密着した存在のほか、茶道の水として珍重された名泉もありました。なかでも
「二子藤の池」 は藤の古木に由来があり、街道を往来する人々に親しまれていました。また、昭和20年代後半までは水田への引き水や、水稲の種籾を浸けて発芽を促すタナヤ(種井)として利用されていたことからも、「タナヤの池」
とも呼ばれていました。春になると、溜さらい、川さらいを共同で行い、その時ウナギ・コイ・フナ等が大量に獲れたので、それを魚屋に売って慰労会の費用にしたこともあったと言われています。
船橋市西部に位置する旧葛飾地域は、かつての海岸線の面影を残す松林や由緒ある寺社が数多く残されています。二子藤の池の北側には日蓮上人ゆかりの地であることを示す宝珠山多聞寺があり、一説によると、鎌倉時代に日蓮上人が中山への往来の際、「二子浦」
から鎌倉に向けて船出したというのは、ここが 「降り津」 であったと伝えられています。
昭和40年代に入り、二子の溜の多くは都市化の進行により利用価値がなくなったことで、次第に荒れ果てたり、埋め立てられたりしてしまいましたが、この二子藤の池は平成10年3月に地元の協力によって復元され、旧葛飾地域の特色であった湧水や溜が連なる
「葛飾湧水群」 を偲ぶ貴重な史跡となっています。