江戸時代のはじめ、両国から堅川の北岸を東に進み、逆井の渡しで中川(旧中川)を渡り、小岩で現在の江戸川を渡って房総へ向かう道が開かれました。「元佐倉道」 と呼ばれ、明治8年(1875)に千葉街道と改称されています。江戸時代に作られた 「水戸佐倉道分間延絵図」 には、「元佐倉通り逆井道、江戸両国橋え道法三里」 と記されています。
 江戸から佐倉へ向かう道筋には、千住から新宿(葛飾区)に至って水戸街道から分かれ、小岩に至る佐倉道があり、江戸時代にはこちらが街道として利用されていました。
 江戸を守るために江戸川には橋が架けられませんでした。小岩市川の渡しの小岩側に小岩市川関所が置かれていました。「新編武蔵風土記稿」 の伊予田村の項に 「対岸は下總国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所という」 とあります。これは幕府の設けた関所のひとつで、常時4人の番士が配属されていました。上流の金町松戸関所とともに、江戸の出入りを監視する東の関門でした。戊辰戦争では、ここも戦場になっています。明治2年(1869)に廃止されました。
  (江戸川区)

江戸川河川敷

小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡

江戸川に架かる市川橋