右 せんじゅ岩槻志おんじ道
左り江戸本所ミち

右 いち川みち
 安永四己未年八月吉日
北八丁堀 石工 かつさや加右衛門

 江戸時代、庶民の間には霊場崇拝の風習が盛んになりました。坂東三十三観音もそのひとつで、埼玉県岩槻市の古刹慈恩寺は、十二番札所として関東各地から参詣人を集めていました。
 こあたりは、むかし御番所町といわれたところで、この先にある江戸川河川敷には、小岩市川の関所がありました。
 この道標は佐倉道と元佐倉道の合流地点にあって、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えたと思われます。銘文は安永4年(1775)に建てられたもので、岩槻・江戸・市川の三方向を示しています。
   (江戸川区教育委員会)

左り いち川ミち
 小岩御番所町世話人忠兵衛

御番所の慈恩寺道石造道標解説

道標右面

道標正面

道標左面