地蔵菩薩立像

供養塔

元禄17年(1704)の供養塔

 正真寺境外仏堂の観音堂は、光ヶ嶽観音堂と号し、弘法大師の大曼荼羅戒壇前にて鋳造された小金像をお祀りしています。光ヶ嶽観音は一寸八分(約6㎝)ほどですが、室町時代末期の武将里見義豊義俊の守り本尊で、常に甲冑に納め戦場に赴いたと伝えられております。
 その後、観音像は千福寺(現存せず)に安置されましたが、里見家子孫に至って供養を怠ったところ、文禄元年(1592)地元の沖田家祖先豊前の枕元で大きな音が響き、驚いた豊前が飛び起きると観音像が立っていたといいます。
 翌朝豊前が千福寺に詣でると、そこに観音像はなく、豊前は屋敷内に御堂を建立。以来、観音像は江戸・明治・大正・昭和・平成を通じて北小岩の信仰となったものです。
 地元の由緒ある文化財と言えるでしょう。また、かつてのお堂は火災・戦災で被害を受けた人たちに貸し出されたり、お年寄りの集い踊りの稽古場にも利用され、馴染み深い観音堂なのです。
 地元の皆様のご協力を得て堂宇再建の機にその由来を記す。
   (正真寺住職ほか)

光ヶ嶽観音堂由来

光ヶ嶽観音像

光ヶ嶽観音堂